Lamp harajuku

#008 TAKAKO MINEKAWA & DUSTIN WONG

「その人にしか聞こえていない音がある」。そう語ったのはミュージシャンの嶺川貴子さん。幾度もその皮を脱ぎ捨て、自身の魂を磨き続けてきたダスティンさんと奏でる音楽は、どのジャンルにもはまることがなく、わたしたちにその世界観を伝えてくれる。 木漏れ日の差す代々木公園で、朝の空気の中行われたインタビューから、お二人のメッセージをお届けします。

*嶺川さんの幼少時代をお聞かせください

− ふつう3歳とか4歳とかになったら幼稚園とかいくとおもうのだけど、行かなかったんです。同年代の子も近所にいたけど、みんな幼稚園に行ってしまうので、友達というのはほとんどいなくて、そのとき住んでた家の庭で、蟻とか人形と一人で遊んでいた記憶があります。その後、引っ越しをしたので終わりの1年だけ幼稚園に行きましたが、どうやってと人とコミュニケーションをとっていいのか、よくわからなかった。

あるとき、丸い缶に紙を貼っていく工作の時間がありました。わたしは切り絵のように小さく切った紙を張り合わせてたので、凄く時間がかかってしまって。ふとまわりを見たら、みんなその缶の型に紙を合わせて作っていたんです。そうか!と驚いた瞬間を今でも憶えています。他の子はすぐに終わって簡単につくれているのに、凄く時間をかけて集中してつくっていました。でもこのとき先生が何にもいわずやらせてくれたのは、今思うと凄くありがたかったとおもう・・。 人の話もあまり聞いてなかったし・・ほわーとしてて。自分のやりたい事に没頭しているような子供でした。

ピアノはその幼稚園のときからはじめて、あとバレエを習っていました。バレエのレッスンのときは音楽を聞きながら、それも今のようにCDとかではなく、オープンリールのテープレコーダーの音。そのレコーダーのテープの巻き戻す「キュルキュルキュル〜」て音とか、すごく憶えています。何回も同じ曲を聞きながら踊るので、「チムチムチェリー」とか「展覧会の絵」とか、踊った曲は今でも自分に凄くしみ込んでいる気がします。楽器はピアノくらいで、両親も音楽に詳しいわけでもなく、ただ中学生くらいになると歌謡曲や洋楽も少しずつ聴き始めて、ラジオから流れる曲をテープで録ったりしていたけど、それほどはまったりすることなく聞いていました。

高校生になると学校は行くんだけど、帰りは一人で古い映画を銀座に観に行ったり。外国も行ったことがなかったから、そうゆう映画で外国を知ったり。 当時はいろいろなバンドが国内からもでてきたりしてブームだったけど、わたしはまったくそうゆうのはなく、バンドも組んでなかったし、ライブにも足を運んだことがなかったです。 通っていた高校は少し特殊な学校で、小説を書いて六本木に一人で住んでる子とか、芸能の仕事をしている人とか、大人っぽい子が多くて。それはおませとかではなくて、仕方なく、大人にならざるを得ないような子が多かったようにおもいます。 わたしは、小さなころに(もともとは自分の意思ではなかったけど、)映画にでたりしていたので、なんとなく普通の子供だったら知らない世界や大人の世界を早くから見ていた気がします。映画や舞台を親といっぱい観に行ったりはしていたけど、自分から音楽に触れたのはだいぶ後、大学に入ってからなんです。

*ダスティンさんの幼少時代はどうでしたか?

− 1歳の時にハワイから日本にきました。両親がハワイで出逢って、お母さんの実家が大阪だったので大阪にいました。 僕がいた幼稚園はちょっとおかしくて、良い小学校に入るために試験とかある幼稚園で、皆ボンボンで嫌な子供が多くて、いじめられて、毎日ボコボコにされてた。両親もそれを知ってカトリックの小学校に移るんだけど、そこでもいじめられて、ここも違うってなって。 宣教師が行く学校にいったら、クラスに数十人しかいない学校で、そこではいじめがなくなって、少しの間一息つくことができた。 ぼくは、凄いふてくされたしらーっとした子供で、世の中に飽き飽きしていた。 無邪気に遊んでる子供を見てもなんでこんなに無邪気でいられるのかわらなかった。小学生の頃はすごくすかしていたかもしれない。 でもいつしか、無邪気に遊んでいる子達を外から見ていて、すごく楽しそうだっから、もう自分の嫌な部分を捨てて、その輪に入り込むことができた。やっと子供に戻ることができた瞬間だった。

中学の頃には東京の国際学校に行ってたのだけど、真面目すぎて、一度爆発して自分の髪の毛を剃ったことがあった。 この学校はとても保守的な環境だったけど、自分の想いを滞らせず、いろいろな事に反抗することもできたから、それは良かった。 反抗というのはとても大切だなって思う。反抗する力が音楽やアートなどに興味を示したし、自分自身で表現することが人間の自由、生きる力になっていったし。 バンドを組んだのもこの頃で、とにかく爆音でストレス発散していた。悪いこともいっぱいしてたね。パンクでした。 あの頃はそういった形で自分の中の膿みを出さずにはいられなかった。 僕のこれまでの人生の中で自分自身をいったん脱ぎ捨てることへの葛藤や衝動は小、中、高校、大学とそれぞれ何度かあるんだ。

*嶺川さんはパンク時代はありましたか?

− 中学生くらいのときに「なんかつまんないなー」と周りを見ることがあって、自分がアウトローな、輪に入れない感じはあったし、反抗心はあったとおもうけど。 誰かと一緒にいなくちゃいけないというよりは、一人いることが苦じゃなかったし、小さな頃から自分の世界で過ごすことが全然平気な、おとなしい子でした。

*嶺川さんとダスティンさんの二人の音楽は、邦楽、洋楽とか、何かから影響を受けたりという、背景やジャンルがみえない感じがとても心地よくて、でもすごく不思議だなと思っていました。

嶺川:たぶんそれは、私は18歳くらいまでそんなにどっぷり音楽をやってきてないからじゃないかな?青春時代にバンド組んだりとかもなかったし、それよりも、ダンスや映画、演劇とか色々なことが積み重なって今の音楽がある。

ダスティン:僕が好きな音楽を聴く時って、いろいろな音が重なって、ぶつかり合って、音がダンスし始める。そのいろんな音を聴くと理想的な人類が見えるんだ。色々な人がいて、同じじゃないものがうまくいってる。 そして、曲によってその形は違うし。

嶺川:そう、色々なものが混ざり合っている。

ダスティン:良い音楽って、良い人類に見える。

嶺川:私たちの音楽はどこに、どのジャンルの場所にCDを置いたらいいのかジャンル分けしたいお店の人は悩むらしくて。そうゆうことを考えない場所にCDを置いてもらっているところもありますが。(Lamp harajukuみたいに!) わたしはどこかに居場所がずっとほしかったし、どこかにはまりたかった…でもそれができなかった。

ダスティン:ぼくもずっと居場所がほしかった、子供のころ「将来何になりたい?」ときかれたら「普通になりたい」って言っていた。社会にとけ込みたかったんだけど、それができなかった。

嶺川:いつも、どこにいてもしっくりこなくて、中途半端な、ずっと。だから自分の居場所があればと思って、それが自分達の今の音楽に繋がっているんだとおもう。

*二人はどのようなことにシンパシーを感じていますか?

ダスティン:今は進化とか、政治とか人間がこれからどこに向かうのかとかは良く話しています。人工知能とプロメテウスが繋がっていく話とか、それがこれから何をもたらすのかとか。

嶺川:神話や、聖書の話も良く話します。聖書に関してはダスティンに教えてもらったりしながら。政治の事とか考えたときに理解できないことも実は聖書からきていたりして、「あーなるほど」と思えたりできる。

ダスティン:日本については「和」について凄く考えたりする。ソーシャルハーモニーは、日本の道徳の最先端にある気がしてるんだ。だけどハーモニーにこだわりすぎるとその和に素ずる器も小さくなってしまう。あなたの思う和はどういうものが含まれるのか、自分の周りや国だけが含まれてしまうとその和は矛盾に終わってしまう。真のハーモニーはすべてが含まれていて多様な表現が和の一番の理想だと思う、Melting Potね。和も宗教と似てて、思想であって、いい所と悪い所もある。そうしたことを考えたときに色んな宗教や思想を勉強することって凄く大事だなって思う。

嶺川:宗教はお互いを理解し合うため、お互いの文化を知るために知っていたら良いなとおもうので、私ももっと勉強したいし、もっともっといろいろな思想、というか自分の考えを皆で話し合う場、Free speechの場が日本でももっとあったらよいのにといつもダスティンと話しています。

*二人はどんな感じて音楽を創っていくのですか?

ダスティン:最初のアイデアは完全に即興。そこから磨きをかけて、ちゃんと記憶して。

嶺川:そのときに録音しておいて、とっておいたものをもう一度やってみたりしながら、そうゆうところから、見えてくるものを形にしていく。

ダスティン:今回のアルバムで「YAIKELE YA MA」という曲があるのだけど 僕が唄うデタラメで作ったつもりのチャンティングを、Googleでアルファベット入力して調べてみたらんなんとハワイ語で、偶然。 それを訳してみたら「大勢の人間を一人の人間が持ち上げようとすると怒りで終わる」という意味で「わー」ってびっくりした!!

*ダスティンさんのルーツでもあるハワイ語でしかも今の世界における問題についてお二人が考えていたことに触れてたなんて、凄いですね!

ダスティン:無意識で創って、後から意識的に観察するのはとても面白いし、自分のことが学べる。

嶺川:演奏しながら二人で声を出して唄うけど、「HAHA MORI」という曲は、歌詞はあるのだけど、ライブではそのときそのときに浮かんだ言葉、日本語だったり、何語かわからない言葉だったりの声を重ねたりすることもあります。

*これから二人がやってみたいことは?

嶺川:いっぱいやりたいことがあるんです。今日持ってくれば良かったですけど、突然顔版画してみたりとか、そうゆうパフォーマンス。 いろんな映像も創りたいし、何がなんだかわからないようなことをしたいです。

ダスティン:レクチャーシリーズもしたいな。例えば音の聞き方のお話をしたりとか。音を聞いたときにジャンルとかそうゆうものじゃなくて、どうゆうふうに音と音が話し合っているかとかを聞いてもらいたい。その方が絶対楽しいから!

嶺川:その人にしか聞こえてこない音というのは実はあると思います、人の身体ってそれぞれ全然違うから、純粋にその人が心に向き合ったときに聞こえる音を感じてもらいたい。それから音楽の環境が整った場所でやるのも良いんだけど、それだけではなくて、いつもどんな場所でやったら自分達らしいか考えている。

ダスティン:軽トラックの上でメガホンをスピーカー代わりにしてお祭りで演奏したりとかしてみたいな。

* * * * *

お二人の音楽を聴くと穏やかにもなるし、踊ることもできる。
それはいつも自身から沸き上がる葛藤に対して真剣に、時に激しく、時に優しく、自分の心に素直に表現してくれてるからだと思う。
そして自分たちの居場所を今もずっと二人は探し求めている。
彼らの音楽は彼らの人生そのものだから。

* * * * *

嶺川 貴子 Takako Minekawa
https://twitter.com/tm_meandcat

ダスティン・ウォング Dustin Wong
https://twitter.com/dustinwong?lang=ja

Instagram
Dustin Wong and Takako Minekawa
https://www.instagram.com/takako_dustin/

tumblr
http://takakoanddustin.tumblr.com/

聞き手: 矢野 悦子 Etsuko Yano
https://www.instagram.com/etsuko.yano/

写真: 湯浅亨 Tohru Yuasa
www.yuasatohru.com

2017.04.24 代々木公園にて